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2008年12月02日

<思い出話>陶美研の思い出


昭和63年4月 入学式の帰り,学而館の横を通り南門に向けて歩いていると、「つぼ」をもった男の人とちっちゃくてやさしそうな女の人がいて、 話かけたらキャンディー(ミルキー)をくれました。当時、私は美術部に入るつもりでいました。けど、何度かBOXを訪ねて、陶美研に入ることにしました。
一回生の頃おられた先輩たちは、すごく個性的な人達でした。厳しい先輩、ハンサムな先輩、年齢不詳な先輩、リーダーの先輩、美人の先輩。ムードメーカーの先輩、生協で働く先輩、きらきら瞳の輝く先輩、よく食事に誘ってくださった先輩たち、陶芸を愛する先輩、素直なのか怪しいのかわからない先輩、私と一緒なころ入られた先輩、さまざまな魅力的な先輩たち。

今回あらためて思い出したこと。私が陶美研に熱心に通っていたのは、1・4・5回生の時。
その頃家族に宛てた手紙の中に、陶美研のこともありとても個人的な記憶ですが、送らせてもらいます。

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2008年12月01日

<メッセージ>摺木省治

1990年卒です。当時は窯がなくしょうざんの陶芸教室まで歩いていたことを記憶しています。いい運動でもありました。流れる小川にはホタルもいたと思います

<メッセージ>島田融

当時旅行会で鎌倉・横浜・東京(1982年2月)、丹波立杭等へ行ったと思います。

<メッセージ>磯田稔夫

私が陶芸美術研究会に在籍していたのは沖先生の教室が御所の南にあった時からしょうざんに移った頃です。現在の陶芸部の方たちとは比べようもない小規模な活動でした。OBとは言いづらい心境です。

<メッセージ>中西勝三

陶美研の任意団体時代、当代の会長中の先輩や理工科学科のメンバーで創部しました。(私は3代目会長でした)

<メッセージ>森章子

創部30年おめでとうございます。私にとっては大学4年間の中で陶美研の存在はとっても大きくいろんな経験ができ本当に楽しい楽しい毎日を過ごさせてもらいました。特に個性的かつユニークな先輩方や同改正と出会えたことはとても大切な財産となっている気がします(あっ私もその1人?)

<メッセージ>高山克啓

平安陶芸教室で大変お世話になりました事感謝しております。ありがとうございました。

<メッセージ>三木陽子

やっぱり合宿ですね。寒さに弱いもので、合宿で寒くて寒くてたまらなかったこと、窯が燃え盛っているのにこちら側は空気さえ凍っているような対称性、灰の中から掘り出した作品が全く違うものに変わっているような感動です。

<メッセージ>庄司(岩田)明子

こいどくんのゲロのついたシーツを沖縄で洗ったこと。

<メッセージ>宮本(山本)奈々絵

当時は作品を作るよりもしゃべくりたおしていましたが…。とても懐かしいです。私事ですがこの10月に結婚しました。やっと…。

<メッセージ>保田真美

20年5月18日に長男路範(ろはん)がうまれ、バタバタと子育てをしており、残念ながら今回は欠席します。

<メッセージ>鈴木大樹

1996年11/19〜24の陶芸部初めて?の信楽穴窯合宿。とにかく寒かったことを憶えている。あらためて調べてみたが、6日間それぞれの最低気温は全て0℃以下で、最低は20日(窯詰め時)の午前3時−1.2℃。1日の平均気温も3.7℃〜6.7℃。そんな寒さの中、宿なしで乗り切った。薄い寝袋やエンジンを切った車内では眠れなかった。若さがなせる業といったところであろうか・・・。陶芸の森の窯は断熱性が高く、温度管理が楽だったのだが、窯からの放熱によって暖を取れなかったのが辛かった。

<メッセージ>越渡英雄

「第4649回 恒例陶芸部冬の春合宿 ガンバレ信楽ツアー みんなそろって凍死展 〜そして伝説へ〜 ナリタブライアンと共に! 紅葉なんてクソ喰らえ マリオと一緒に金目鯛 泣くなさわぐなひっぱるな ハイパーでプラズマでウルトラ不安な窯焚き’94」の時に行った銭湯のお湯が熱くて入れなかったこと。